2013年も大して更新せず、もうインターネットのクモの巣の裏ッ側にでも埋めたいくらいのこのブログですが、ソロ・デビューアルバム『Unchained』を発表し、ストリートを中心に押しも押されぬ人気を誇るシンガー、MARINちゃんのインタヴューを慣行させて頂きましたので、こちらに掲載させて頂きます。
確か、MARINちゃんに初めてあったのは4,5年前の渋谷VUENOSで。インタヴュー中にも出てくるけど、MARINちゃんとも仲の良いICE DYNASTYのメンバーに紹介してもらったと記憶しています。
その後もひそやかにMARINIちゃんの活動は応援していたけど、まさかこんなに素晴らしいアルバムと激アツなアプローチでCDデビューするとは!
(だって、これまでに日本の男性ラッパーの曲をビートジャックしちゃう女の子シンガーなんていた!?)本当にいい意味で裏切られました。
日本で人気のある、いわゆるR&B系のシンガーの作品って本当にキレイで繊細なラブソングが多いというのが個人的な所感。確か、MARINちゃんに初めてあったのは4,5年前の渋谷VUENOSで。インタヴュー中にも出てくるけど、MARINちゃんとも仲の良いICE DYNASTYのメンバーに紹介してもらったと記憶しています。
その後もひそやかにMARINIちゃんの活動は応援していたけど、まさかこんなに素晴らしいアルバムと激アツなアプローチでCDデビューするとは!
(だって、これまでに日本の男性ラッパーの曲をビートジャックしちゃう女の子シンガーなんていた!?)本当にいい意味で裏切られました。
何でみんな、もっと<自分の欲求>に関して歌わないんだろうといつも疑問に思っていたのですね。
そこに来て、ガツンと<女の子のマジモード>を歌ってくれるMARINちゃんの登場。
嬉しい限りです。
シアラやアリーヤを彷彿とさせるようなシルキーな歌声もかなりツボ!
(ブレスの具合なんかも玄人っぽくてツボ!)
というわけで、<Girl With Attitude>なMARINちゃんのロング・インタヴュー!
自身の生い立ちや、シンガーを志したきっかけなど、リアルなマインドを話して頂きました。
とくに、アルバム収録曲の”Sister”に関するエピソードは私もテープ起こしをしながら思わず泣いてしまったくらい、彼女の想いを語ってくれています。
彼女のことをよく知っているあなたも、あまり知らないあなたも、是非とも読んでみて下さいね。
末尾には、12/7(土)に開催されるリリース・パーティーのインフォも載せておりますので、「MARINって誰!?」と興味がムクムクな方は、是非とも一緒にライブを楽しみましょう。
(インタヴュー内にも登場する、豪華ラッパー陣も来るとか来ないとか!?)
【生い立ちとバックグラウンド】
—楽曲を聴けば今までMARINさんが辿ってきた道は分かるわけですが、東京出身ということで?
「そうです。母が北区で、産まれたのは北区。でも育ったのは足立区の北千住というところです。」
-MARINという名前は本名?
「そうです。「本名なの?」ってよく聞かれるんですけど、自分でも気に入っていて。(歌手活動にあたって)別の名前を自分に付けるとしても、何も浮かばなくて、そのままMARINでやっています」
—東京の下町で育ったということですが、歌手を志すにあたって、そのバックグラウンドに影響されることはありましたか?
「なんだろう…。やっぱり、下町って言っても、色々エリアがあって。私の育った足立区は結構やさぐれている印象をもたれてるというか、実際下町の中でも結構低所得の方が多い場所。とくに、北千住よりも奥にいくと結構閉鎖的なんですよ。だから、足立区で育っても<外に出たい!>という欲求はありました。足立区の中で友達同士で遊んだりとか、溜まったりとか、そういうのが全然しっくりこなくて。中学生の頃から六本木とか渋谷とか行って遊んでました。でもやっぱり、そこは<遊びに行く>ところで、自分の地元じゃない。音楽をやってくうちに、そっち(繁華街)の地域の人たちが歌えることと、私が歌えることは違うような気がしてきて。そっちの方たちとは違うというか…。下町育ちの人はやっぱり<俺、下町だぜ!>みたいな気質がある。そういうところで揉まれていくうちに、自分もそういう気質を出していきたいな、と感じたりはしましたね」
—歌いたい、という願望は子供の頃からあった?
「歌うことはすっごく好きでした。(歌が)得意だな、っていうのは自分でもあって。音楽の授業でも、絶対に「私!」って感じでした。好き、でしたね、歌うことが」
—もともと、ベースにある音楽的バックグラウンドは?
「うーん。小さい頃からバレエをやってたので、母も(私に)クラシックばっかり聴かせてたんです。だから音楽的なベースはクラシックなんですけど、そのうち、SPEEDとか安室ちゃんとか小室ファミリー系のポップスばっかり聴いていて。その後は、姉が買って来た洋楽のCDを聴き始めたり。そういうところが入り口なのかな。ヒップホップに関しては。初めて聴いヒップホップは小学校6年生の頃ではビギー(ノトーリアス・B.I.G.)でした。ビギーが亡くなった直後で“I’ll Be Missing You”とか、追悼的な感じで姉が買って来た洋楽コンピに入っていたのを聴いたのが最初でした」
【シンガーを志した高校生時代】
—中学校、高校時代は?
「中学校は地元の公立校でした。高校は池袋の方で。そのときはまだ歌い始めてはいなかったんですけど、高校が凄く自由な校風だったんですよ。でもみんなそこそこ勉強は出来るから、めちゃくちゃ平和で、派手な子とか全くいない。そのときは、将来は美容師になろうと思ってたんです。美容師の勉強始めたらもう遊べなくなっちゃうから、今のうちに遊ぶにはここの高校しかない、と思って。そこで、BAKEY(ICE DYNASTY)と出会ったんです。隣のクラスに超イカれたヤツがいるって言われて(笑)。(彼には)ノータッチだったんですけど、ある日いきなり「これ買わない?」ってチケットを渡されて。何これ?みたいな。そしたら「俺、ラップやってんだよね」って言われて、つるむようになったんです。そのうち、「私、歌いたいんだよね」って言ったら「やればいいじゃん」って言われて、それで歌い始めたんです。その頃は(BAKEY達が)六本木ナッツでデイタイムのイベントをやってたんですよ。(そこに)OHLI-DAYとかGENちゃん(GEN-ONE ※ともに現ICE DYNASTYのメンバー)とか、光が丘(※東京都練馬区光が丘)の子達が結構いて。デザイナーのセンジュとか」
—そういうパーティーは高校生になって初めての経験だった?
「生意気な事に中学生の頃から行ってました。(その頃は)姉が高校生サークルに入ってたんですよ。すっごく流行ってたじゃないですか。で、そのサークルで『egg』に載ったり『ストニュー』(※『東京ストリートニュース!』)に載ったりとかしていて、彼らと一緒に遊んでたんです。だから、どっちかって言うとパラパラとか踊れる(笑)。不思議な繋がりなんですけど、姉のサークルの兄弟サークルにJP-ONE(BIG BLAZE WILDERS)がいたりとか。それは後に分かったんですけど」
−高校生時代に行っていたパーティーがきっかけで歌を歌い始めた?
「そうですね、相方(SOUND GROW)のERIも同じ学校だったので、「ちょっと一緒に歌ってくれる人欲しいな」、なんて話してたら「じゃあ手伝うよ」みたいな感じで。それで二人で歌い始めたんです」
−それがSOUND GROW結成のきっかけ?
「そうですね、その頃からもう<SOUND GROW>と名乗ってました」
—当時の音楽活動は?
「六本木ナッツでのパーティーがスタートで、そこのパーティーで歌ってたら、当時の店長さんが声を掛けてくれたんです。で、高校生ってことが分かっていながらも「夜、歌わない?」って言われて。それで夜のパーティーも紹介されて、そこでレギュラーで歌い始めて。当時からオリジナル楽曲も歌ってましたね。アリ物のインストを掘りにいって、これならイケるかな?って選んだり…全然流行とかまで見れてないような感じだったんですけど、とりあえずは手に入るもので歌ってた、って感じですね。高校生活は取りあえず遊びまくって今思えばめちゃくちゃでしたね(笑)」
−そこから得た経験や人脈は今、役に立っている?
「そこがスタートでした。段々広がっていって、でもそんなに当時は意識していたわけではなくて、いつの間に大きくなっていったのかな、っていう。ただ楽しくてやってる、って感じでした。その初めてレギュラーになったイベントに、まだJUSWANNAを組む前のMEGA-Gが居たり、兄弟イベントに当時、結成したばかりのBIG BLAZE WILDERSもいたり。その当時から知っているアーティスト達はやっぱり特別な存在ですね」
−高校を卒業したあとは?
「とにかくニューヨークに行きたくて。一ヶ月だけですけど、ニューヨークに行きました。ある日、アポロ・シアターのアマチュア・ナイトに行ったんです。観光客もめちゃくちゃ多いんですけど、そこで、司会の人が色んな国の名前を挙げていきながら、その国から来た人をどんどんステージに挙げていったんです。日本の番が来たときに、私じゃなくて、近くにいた人が「日本人はここよ!」って主張してくれて(笑)。勢いでステージで踊りました。そしたら拍手喝采で。アポロ・シアターのステージに立てることなんてもう無いだろうから、とにかくやっちゃえ、と思って。そんな経験もありましたね。それから、21歳くらいのときに、ERIとミニ・アルバムを出したんです。引き受けて下さる方がいて、引っ張られるまま、やらせて頂いたって感じです」
【SOUND GROWとしてのデビューから、ソロ活動へ】
—初めて自分の音源が作品になったときの感想は?
「もちろん、凄く嬉しかったです。でも、ぶっちゃけあまり実感が湧かなかった。自分で手に入れた感じがしなくて。無意識だった気がします。それが2007年の頃」
—その後、SOUND GROWは解散してしまうわけですが、そのいきさつを聞いてもいいですか?
「(ICE)DYNASTYのアルバムの手伝いとかも、自分が請け負うことが多くて。それ以外でも、(MARINの)ソロでやってくれないか、って言う話もちょこちょこ頂くようになった頃なんです。私も、ゆくゆくはソロになりたいという思いはありました。やっぱりダンスとかライブに関しても、トータルで魅せる<ショウ>をやりたいと思っていたんですが、それをERIとやるっていうのは難しいかなとは何となく感じてた。ソロになるっていう私の思いが念頭にあって、それがちょっとずつ方向性の違いに…って言うとありきたりですけど、それが積み重なって解散したんです」
—同時に、ソロ・シンガーのMARINとしてヒップホップ・アーティストへの客演も増えていくわけですが、その体験は面白かった?
「面白かったですね。自分の楽曲でもそれまでフィーチャリングの仕事ってしたことなかったんです。だから、呼ばれると「私でいいの!?」って、すごく嬉しかったです。すごく刺激をもらうし、みんなこういう録り方してるんだなって思ったり。客演で参加している楽曲も、自分のパートは大体、自分で(歌詞を)書いていますね。印象に残っているのは、DEXPISTOLS feat. ZEEBRA“Fire”。録る30分前くらいに、ZEEBRAさんのマネージャーさんから「女の子の声が欲しいんだけど、どう?」みたいな感じで電話が掛かって来て。「今からですか!?」って。すごく緊張しました。DEXPISTOLSのお二人はもちろん、ZEEBRAさんとちゃんと会うのも初めてで。で、「これやって」、って。すごく緊張したのを覚えてます。まぁ、さくっと終わりましたけど。(笑) あとは、NIKEのグローバル・キャンペーンで、道端ジェシカさんのテーマソング”Make Yourself”も、当時お仕事してたプロデューサーさんからお話をもらって、仮歌になってしまうかもしれない、と言われて録ったら、すごく気に行ってくれて結局そのまま採用されたんです。店頭とyoutubeのみで公開されたんですけど、コメント欄でも「この歌手は誰だ!?」って話題になったりして嬉しかったですね。」
−本作に収録される”M.A.R.I.N.”もそうですが、歌詞の中の韻が印象的ですよね。それも、ヒップホップ・アーティストとの共演がきっかけになっている?
「そう思います。共演していくうちに、やっぱりヒップホップが好きだな、と思いましたし。ラップはするつもりはなかったんですけど、韻を踏むってUSのR&B作品でも普通じゃないですか。だから私もやってくべきだと思ったんです」
—譜割りとか、メロディの載せ方、コーラスの重ね方も本当にUSのR&B作品っぽさを感じます。普段、どんな風に海外楽曲のインプットをしているのでしょうか?
「毎日、ひと通りチェックしますね。海外のヒップホップの新譜もそうですし、R&Bももちろん。ひたすら<Nah Right>(※海外の新譜情報ブログ)とか見てます(笑)。曲を作るにあたっては、なるべく日本の楽曲っぽくならないようにあえて意識してます。今回のアルバムに入ってる曲に関しては、ERIも手伝ってくれているものもあるんですが、そこは意識して作ってますね」
—ラップをやろうとは思わなかった?
「ラップは…やろうと思ったことはないですね」
−影響を受けた歌手は?
「昔はパワー系…パワーを込めた歌い方だったんですけど、だんだんそれを軽く、自分の好きな感じに歌う方向性に変えていこうと思って。例えばアリーヤとか、今だとシアラとかを意識してるのかもしれないです」
【1stアルバム『Unchained』制作過程】
−今回のアルバム・タイトル『Unchained』に込めた意味は何でしょうか?ジャケットの写真だと、脚にリボンが結ばれてますよね?
「このアルバムでは、自分の内側を表現したり、今までやりたかったことだったりがとても出来ていて、色々と解放されてる感じがするんです。縄を解いて、今から飛びます!みたいな…。自分がどうしたいのかが分からなくなった時期や、どっちにいっていいか分からないみたいな状態になった事もありました。でも今はそうじゃない。自分を出していかなきゃいけない。やっと自分の楽曲も外に出せるという意味も込めています。」
−ソロ・デビュー・アルバムを発表するにあたって、周りの人の反応は?
「家族も友達も、とにかく皆喜んでくれてますね」
−『Unchained』に収録されている楽曲はいつ頃から録りはじめた?
「結構前に録った作品もあります。もともとSOUND GROW のアルバム用に作っていたものもあるし…もうどれくらい前なんだろう?でもSOUND GROWの解散もあったり、自分や周りがゴタゴタしていたときに作った曲も、自分の歴史というか、やっぱりそのときにしか歌えないことなので、それも全部ファースト・アルバムには入れたかったんです。楽曲ごとにいつ作った、っていうのは意識してないかもしれない」
−楽曲の制作過程は?
「先にイメージを作ってから、(プロデューサーに)イメージを伝えて自分用にトラックを上げてもらって、それにメロディを付けてリリックを乗せる、っていうスタイルです。プロデューサーのdee.c君に関しては、メロとかも含め一緒にイチから作った曲も多いですね」
−参加したプロデューサー陣に関しては?
「dee.c君とは結構付き合いが長くて。もともと彼のスタジオが板橋にあって、当時私も板橋に住んでいたんです。dee.c君の家も近かったから、お互いの家を行き来したりして作ってました。彼もコダワリが強いので、時間はかかりましたけど。その分納得いく物になった感ありますね。ルチャ君(KUT)は、ICE DYNASTYの繋がりだったかなあ…。こちらから声を掛けたんです。音が日本っぽくないじゃないですか。『Unchained』のイントロも凄いし。一番最後にルチャ君から上がってきたビートが、このイントロだったんです。ハッキリと依頼したわけではなくて、ただ「アルバムの2曲目がルチャ君の曲だから、それに繋がるような感じでイントロを付けたい」と話していたらあれが上がって来て、本当にいい意味で期待を裏切られました。「この人は何も言わなくてもヤバいの持って来てくれる!」と思いましたね。THE COMPANYさんは(SOUND GROWの)ミニ・アルバムを作ったときに参加して下さった方。今でも、仮歌を入れるときにお手伝いするなどの繋がりがあったんです。普段はポップスを中心に作ってる方。しかも、現行のヒップホップも凄く追ってる方だから、普段ヒップホップを聴かない人にもハマる音っていうのを作って下さる方なんです。それでお願いしました」
—女性R&Bシンガーがなかなか言わなさそうなキワドい表現もありますが、普段、リリックはどのようにして書いているのでしょうか?
「そこは凄く意識しています。私が聴いている立場でも、ただ普通のことを歌っていても、つまらないなって思うことがあって。だったら自分でやればいいんじゃね?みたいな。あとは、ERIのアドバイスとか、周りの女の子の体験談とかを踏まえて、どこまでだったら汚く聴こえないかな?っていうガイドラインを自分で作りながら書いてます。じゃないと、ほんっとにエグくなっちゃうから」
−MARINちゃんは、そこが絶妙ですよね(笑)
「ありがとうございます(笑)」
【収録曲に込めた想い】
−リード曲の“終わらないループ–Ice Cream Love -“ではSIMI LABのフィメール・ラッパー、MARIAを迎えていますね。
「彼女とは、人間的に凄くあうなって感じでした。実際に会うと、会話止まんない、みたいな。結構、同じように感じるところもあるので、絶対いいモノが出来るなと確信したんです。MARIAとMARINで名前も似てるし、イイなって(笑)。内容としては、<そんな男なんてやめときなよ>って言われながらも、そんな男に引っかかっちゃった女の子の心中を歌ってます。MARIAとのレコーディング風景は映像に撮っているので、その動画も近々リーク出来たらなと思っています」
−恋愛ソングの一つ一つに、MARINならではの主張が込められていますよね。普段、リリックはどんな風に書いているのでしょうか?
「恋愛ソングは、基本的には80%くらいは実話です。“One More Dream”はT.Iの“Whatever You Like”のPVをなぞってるんですよ。女の子の夢の話を歌ったら面白いかなと思って。最後は全部夢だったってオチなんですけど。こんなデートしたい!って理想と願望も込めてます。“No.1 SEX”は女の子的には<超ウケる!>ってノリで聴けるはずなんですが、男の子は…どうなんですかね(笑)。“Girls Talk”で歌ってる彼氏への仕返しの内容は願望ですね(笑)。実際にはやらないけど、歌うくらいならいいかなと。リリックに関しては、結構時間が掛かってしまうタイプで。ワードの聴こえ方や意味、韻の踏み方も全部納得しないと嫌なので、全部書いてもう一回書き直したりとかもあります。フックやコーラス・アレンジのアイデアも基本的には自分で出してるんですが、Macのガレージバンドで全部作り上げてからスタジオに持っていくんです。じゃないと不安で、あらかじめ全部作って、確認しながら録るんですよ。だから制作も結構時間が掛かっちゃいます」
−KUTS DA COYOTE feat. T.O.P“ラブホなう”のアンサー“ラブホじゃいや”に関しては?
「カッツ君とは、彼のミックスCD『EMEK』が出る前からの知り合いで、いきなりtwitterで曲が送られてきたんです。お互いの存在はICE DYNASTYを通じて知っていて。そのうち、楽曲が出来るたびに送ってくれて。『EMEK』のときも、「これにヴァース入れてくれない?」みたいなポップな感じで(連絡が)きて。”ラブホなう”のアンサーに関しては、生身女子の意見を取り入れようかと。ラブホなんてやだ、そんな安くねえし、ってところから。しかもカッツ君が逆客演してくれるんですよ。自分の曲のリミックスなんてやばいね、って昨日もメールが来て(笑)。頑張ります」
—妹さんに捧げた“Sister“という曲がありますが、この曲の背景は?
「妹は、小児脳性麻痺で産まれてきたんです。私の2歳下なんですけど、歳も一番近いし、物心つくころには一緒にリハビリに行って、一緒に過ごす時間も多かった。(妹は)予定日よりも2、3ヶ月早く、未熟児の状態で産まれてきました。私は当時、2歳くらいだったので記憶にないんですが、産まれるときは母も妹も生きるか死ぬかというくらい大変だったみたいで。最初は普通だったんです。すっごく笑顔が可愛くて、本当に天使みたいで。でも、歩かなかったんですね。おかしいな、と思って(病院に)連れていったら、この子は一生歩けません、と言われて。でも、ママは「そんなわけない!」って諦めずに、週に2、3回リハビリに通っていたら、だんだんと歩けるようになっていったんですよ。それで諦めないママが凄いなと思いました。もちろんパパも。ちょっとずつ、つかまり立ちが出来るようになったのが3歳くらい。幼稚園に入るくらいのときには何とか歩けるくらいだったのです
が、受け入れ拒否されちゃったんです。「この子は、年少さんまでなら受け入れられる。でも、それ以降は面倒見切れません」って言われちゃって。その帰り道−−なぜか私も一緒に行ったんですけど—-をすごく鮮明に覚えている。ママが私の手を引きながら、超泣いてるんですよ。とても悔しそうに。今も妹は元気で、普通に生活出来るけど、やっぱりちょっと身体に当たるだけで倒れてしまう。聴覚に関しては、それとは関係ない事故で片耳が聴こえないんですけど。でも、この曲を聴かせたらすごく泣いてしまって。私から、ちょっと聴いてほしいんだけど、と言って聴かせたら、すぐ分かっちゃったみたいで、泣いてましたね。昔は、一緒にいる時間も多かったので(周りの)色んな目線を妹と一緒に受けてたんです。学校に行くときも、手をつないで。やっぱり歩き方が変だとみんな(妹を)見るんですよ。どうせ変なヤツだな、とか可哀想なヤツだなって思われてるんだろうな、と感じたりとか。でも、大人になったときに、自分も障がいのある方がいると、凄くその方のことを自分も見てることに気付いたんです。でも、私はその人に何かあったときに手助けをしたいから見てる、ということに気が付いて。それで、自分たちへの視線もそうだったんだと気付いたんです。自分の中では普通だった妹の障がいも、歌わなきゃいけないんだなと思いました。結構、(“Sister”を)書くのは勇気がいりました。いつかは歌いたいと思っていたけど、書き始めて、(妹のことは)私にとってとても大きいことだったんだ、と気付いて、泣きながら書きました。自分だけじゃなくて、妹が、お姉ちゃんが、家族が(障がいを持っている)と、そういう思いをしてる人は少なからずいるんじゃないかと思って。両親にはまだ、この曲を聴かせられなくて。ちゃんとアルバムが製品になったら聴いてほしいですね」
【NOW AND FUTURE】
−今回、ソロ・デビューに至るまでの経緯は?実際にデビューが決まって、心境に変化は?
「SOUND GROWも解散して自分の環境も大きく変わったので、まずはそこを作り直す事から始めました。前から私がBLOGのファンだったカリスマブロガーのTOKYO Ms Kicksさんに声をかけて、スタイリスト・衣装デザイナーとして迎えました。あとはダンサーもないと☆な〜すCHIEちゃんとQUEEN BEEのCHIKAちゃんという最強な2人。衣装からダンスまでLIVEに関してはかなりコダワってます。(ソロ・デビューにあたって)関わる人が変わっていったし、どんどん増えていきましたね。好きだな、この人は間違いない!と思う人達にはとにかく声をかけて動いてきました。こうやって自分に力をかしてくれる人達はみんな、少なからず私に期待をしてくれているから、こうして来てくれる。大切な仲間だし、やっぱりそこに応えたいなと、いい意味でのプレッシャーはあります。ありがたいですね」
−今後のヴィジョンは?
「もう次を作りたいですね。あとは、とにかくライブをやりたいです!今、ライブをやりたいっていうフラストレーションがかなり溜まってます。そして、どちらかと言うと女の子に楽しんで共感してもらいたいアルバムなので、私としては、女子のプロップスが一番欲しいですね」
MARIN
Twitter @MARIN_singer / BLOG
インタビュー/渡辺志保
2013/9/13@ P-VINE
『GRAND SLAM -MARIN "Unchained" Release Party-』
日程:2013年12月7日(土)
会場:東京・麻布十番VILLAGE
OPEN:22:00
ADMISSION / MEN:3000yen/1D LADIES:2000yen/2D
UNTIL 0:00 / MEN:2000yen/1D LADIES:1000yen/2D
PERFORMING LIVE:MARIN with back up dancers /日程:2013年12月7日(土)
会場:東京・麻布十番VILLAGE
OPEN:22:00
ADMISSION / MEN:3000yen/1D LADIES:2000yen/2D
UNTIL 0:00 / MEN:2000yen/1D LADIES:1000yen/2D
CHIE(ないと☆な~す)&NARUMI(Queen Bee) + SECRET GUESTS!!
DJ:DJ NUCKEY (THE HEAVY HITTERS) / DJ KEKKE / DJ HIRO / DJ DAISUKE
(from AOMORI) / DJ BANJO / DJ A.J.STYLE / DJ TAKAHASHI
DANCER:CHIHO & LIE (TOKYO VENUS)